何かに向かって頑張るということ。

ちょっと昔の話。

 

高校生の時。

 

とある先生が、

るろうに剣心の漫画全巻レンタルしたから、今週はずっと読んでるんです。早く読まなきゃ返さなきゃだから。

って言ってて、すごい憧れた。

 

社会人って、仕事以外の時間は好きに使って良いんだ。何しても良いんだ。

 

当時学生だった私は、受験生じゃないときでも、休みの日とか割と勉強してた。

いや、他の真面目な学生に比べたらそんなしてなかったかもだけど、私なりにはやってた。

 

だから、仕事の時間以外は好きに使えるってーのが、もーすんごいことに思えた。

 

今、私も社会人。

 

だけど、きっとあの時の気持ちにはもう戻れない。

 

まず、思い出せない。

あの時の気持ちを。

 

今、るろ剣全巻借りて一気読みしていいよ!って言われても、そこまでときめかない。

 

楽しいだろうけど、他にもやりたいことあるし…

 

そして、

 

もうひとつのお話。

 

あれは大学生の頃。

 

とある教授が変な人で、

結構難しい資格まで、ありとあらゆる資格を持ってて、マラソンまで走っちゃうような人がいたわけよ。

 

それ聞いて私、

 

馬鹿じゃないのコイツ…

 

って思った。

 

だって資格なんていくら持ってても、

君もう大学教授というすばらしい職業についてるやん。意味ないやん。

 

休みに、そんな大変な勉強して資格とって、何のために…??

 

って思った。

 

高校のあの先生。

 

そして大学のあの先生。

 

この2つの話は、私の中でフッとつながった。

 

それは、

「何かに向かって頑張ることの意義」

だ。

 

高校生の時、いや、中学生の時も、

 

入りたい学校を思い描いて頑張って、

 

それは基本辛いんだけど、

それでも嫌な辛さじゃなかったんだと思う。

 

今、私は仕事の時間以外は好きに使える。

平日頑張って働いて、

土日は自由。

平日も、早く帰れた日は何したっていい。

 

けど、何か物足りなく感じることがある。

 

それは、私の中でうずく「頑張り欲」なんだと思う。

 

そんなこと言って、また受験やりたいの?

ってそんな訳ない。2度とやりたくない。

 

けど、心のちっちゃな一部は何か頑張りたくてウズウズしてるのかもしれない。

 

あの高校の先生がるろ剣一気読みしてどんだけ楽しかったか、そうでもなかったかは分からないけど、

 

あの資格マラソンオタクの大学の先生の気持ちは、今なら分かる。

 

あそこまでとはいかずとも、私もその気があると思う。

 

日常が何か物足りないのは、

もうずっと何年も、

何かに一生懸命頑張ることをしてないからかもしれない。

 

もう勉強しなくていいのに、ドMかよって思われるかもしれないが、人間案外そうなのた。

 

何か頑張ってみたい。

 

もちろん、自分がやりたいこと。

 

やりたくなくても、成し遂げたいこと。

 

私は飽き性なので、いろいろブレブレだろうけど、

 

やりたいこと、成し遂げたいこと、理想の自分、生活に向かって、

 

一生チャレンジしていきたいと思う。

 

いろんなことに。

 

たぶんそんな人生が私には合ってる。

 

と、壮大な人生を語ったが、

 

とりあえず何か頑張ることを始めたい。

 

何かに向かって努力したい。

 

とか言いつつ、平日の疲れで何もできないというオチかも知れないが、

 

気づけただけで良かった。

 

人生をワクワク、輝かせる方法を一つ知れた。

 

 

 

気を紛らすことの大切さ。忙しくすること。

何か嫌なことがあって、

ひとつの考えにとらわれて、

悶々としてしまうとき。

 

そんなときは気を紛らすために、

ちょっと忙しくしてみることをおすすめします。

 

結果、気が紛れなくても、

何もしないよりはマシです。本当に。

 

何事も時が解決してくれますが、

考え込まないで、何か別のことをした方が

解決されるまでの時間が短くなります。

 

 

本心とプライド。

 

私はめっちゃ面倒くさい人間だ。

 

本当はどうしたいとか、

本心があるけど、

思い通りにいかなかったりした時に、

かっこつけて、

「もういいし!」

みたいな感じで不貞腐れて、

「本当はこうしたい」って言えなかったり、

 

また、厄介なのが、

「もういいし!」状態の時は、

本当にそれが本心の気がして、

もういい気がしてくるんですね笑

もういいよ、って。

で、やりたいことやれなくて一日が終わって、

「本当はやっぱりあれやりたかったのに…」って気づいて、あとで後悔する。

 

私はすごい意地っ張りな人間なんです。

 

周りからみたら、

「もういいよ!」って言われたら、

「もういいのか。」ってなります。当然です。

でも、心の奥底の底で、

私すら気づかない小さい声で、

「本当はこうしたい。」って

言ってます。

 

それを、他人に理解してもらうのはなかなか難しいです。

 

だから、

「本当はどうしたいの?」って、

自分で自分に問いかけてあげることが必要です。

 

自分だけは自分の理解者でいないといけないです。

 

これが、素直に生きるためのコツだと思います。

 

 

 

 

自分の機嫌を自分でとれるようになりたい

人の言葉に左右されて、

 

落ち込んだり、ムカついたり、

 

そうしてたら、

 

人の言葉で救われて、

 

喜んだり、嬉しかったり。

 

それも良いけど、やっぱり

人に引っ張られるまで暗い気分でいるのは嫌なので、

 

自分の機嫌を自分でとれるようになりたいな。さっと、こう。

 

それが最近の私の課題です。

 

そのためには、

私がどういうときに楽しい気分になるのか知ってることが大事だと思うんです。

 

凹んだときは、その楽しいことをするようにして、

 

楽しくなれなくても、ボケーっと暗い気分でいるよりは、何かしてた方が気分の回復が早いと思うし。

 

 

誰といるか。

最近、大切な人の大切さを感じるようになってきました。(日本語おかしい?)

 

昔は、その人がいるのはあたりまえで、どこに行くか、何をするか、を重要視していたんですけど、

 

どんなに楽しい場所でどんなに楽しいことをしていても、大切な人、愛する人とじゃないと本当の意味で楽しくないと思います。

 

私はhspなので、一人行動も結構好きなのですが、

 

やっぱり一人でいるよりも、大切な人といた方が楽しいです。

 

順番的に言うとこうです笑↓

大切な人と一緒 > 一人 > 他人と一緒

 

もちろん、大切な人と楽しい面白い場所に行くのが一番楽しいんでしょうけど、大切な人とはつまらん場所に行っても結局楽しいです笑

 

最近ようやっとそのことに気づいたので、大切な人がいることに感謝し、もっともっと大切にしていきたいと思いました。

 

結局私は寂しがりやなんです。

 

生きてるだけで、素晴らしいこと。

前回と同じような内容になってしまいますが、笑

(やっぱり私自身このことで悩んでるだと思います)

 

人生にあれこれ求めすぎるのも考えものだなと思います。

 

本当は、生きてるってだけでありがたくて、素晴らしいことなのに。

 

本当は満たされてるのに、不満に思ってしまうのは勿体ないと思います。

 

これは、時代がそうさせてるのかなとも思います。

 

戦時中のように、生きていくのに必死な時代だったら、生きてるだけでありがたいってことをひしひしと実感するんでしょうけど、

 

スマホが代表するように、いろんな物やサービスが溢れる豊かな時代のいま、

さらに「もっと、もっと」と多くを求めすぎて、

「なんのために生きてるのか」とか考える暇もできて、

逆に自分を苦しめてる気がします。

 

何度も言いますけど、

生きてるだけで本当にありがたくて、素晴らしいことなんです。

 

自分一人で生きてるんじゃなくて、生かされているんです。

 

「感謝する」ということを知らないと、いつまでも満たされないままです。

 

私は最近その事を忘れていたので、思い通りにいかないことを不満に思ったり、どうやったらもっと、もっともっと楽に、楽しくなれるかを躍起になって考えたりしてました。

 

これからは、毎日、

「今日も無事に終わりました。生かしてくださって有難うございます」って神様、仏様、ご先祖様に感謝して生きていこうと思います。

 

期待しない

 

期待しない

 

期待するから、

期待どおりいくか不安になったり、

期待どおりいかなかったら落ち込んだりします。

 

とくに、私は生活に期待しすぎるところがあります。

 

もともと好奇心旺盛な性格なので、

あれもやりたい、これもやりたいってなってうまくいなかくなる。

 

でも本来、

 

家があって、

ご飯に困らなくて、

それだけでめちゃくちゃ幸せなことなんだと思います。

 

寝る前にゴロゴロできるだけで幸せなんです。

 

いろいろやりたいことはあるけど、やれたらラッキーぐらいに思っときましょ。