「こうなったらいいな」をイメージする
悲観的か、楽観的か、それは人の生まれ持った性質や育ってきた環境要因からある程度個人差があるものだと思う。
私は、おそらく平均より悲観的なのではないかと思う。ストレスに晒されているからか、少なくとも最近はそう感じる。
こうなるんじゃないか、こうなったらどうしよう
そう考えることが多い。
悲観的なことにも良い面があると個人的には思っており、
悪い未来を想像すると、気持ちとしてはしんどいが、そうならないためにいろいろ対策するので、結果良いようになることがある。
それは、学校の成績などで顕著に表れる。
悲観的な性格からか、昔からテストの点はよく取れるほうだった。
悪い点をとらないように勉強するし、勉強したら志望していた学校にも入れた。
そういう意味で私は自分の悲観的な面も認めているし、ある種誇らしく思っている。
ただ、そういう危機管理能力を発揮するのは、ここぞという時だけで良いと思うのだ。
テスト勉強しなかったら悪い点をとるというのは、最も起こりうる状況の一つかもしれないが、
成人がただ日常生活するうえで、不安に思うこと、こうなるんじゃないかと思っていることはそう起こらない。
だからほんと、不安に思って起こるか分からないことの対策を考えるのは時間がもったいない。
し、悪い未来を普段から考えるのは精神衛生上とても良くない。
私は、自分が、放っておいたら悪い未来を想像しがちであることを自覚している。
ストレス下にあるときは特にそうなる。
だから、自分が考えすぎる性格であること、自分が考えるような悪いことはほとんど起こらないことを自らに思い出させ、
最近は、
「こうなったらいいな」をイメージすることを心がけている。
こうなったらいいなはあくまで願望で、これもまた、実際そうなるかは分からない。
つまり、
こうなったらどうしようは、こうなったらいいな、そうなるかどうか分からない点で、全く同じなのだ。
全く同じであれば、起こるか分からないことに今うち震えるよりも、こうなったらいいな、というような理想、ワクワクを心に抱いて日々を過ごした方が良いに決まっている。
それに、良いイメージをしていたら自然と良いように物事が動き出すような気がするのだ。これはあくまでも経験上の個人の実感だが。
だから、私は、
悪い未来をイメージして暗い気分になりそうになったら、
「私はどうなりたい?何したい?どうなってたい?」と自分に問いかける。
先のことなんて分からない。
自分がどうしたいか願望をイメージするだけだ。