暗い私。
私って暗いのかな、って思うときが時々ある。
明るい人たちはすごく素敵だ。
笑っているだけで、なんだか幸せそうに見える。
なら、私も笑ったら幸せなのかな?
楽しくないのに笑ってたら、周りは私のこと、幸せそう、いいな、って思うのかもしれない。
だけど、心で泣いてたら?
周りが羨ましがっても、自分が楽しくなければ意味がない。
だから、私は悲しいときは悲しいと自覚する。
私は、私の暗さを受け入れる。
私だって四六時中暗い訳じゃないから、自分のこと、そんなに心配しなくても大丈夫って思える。
はしゃいで疲れたとき、少し休みたいとき、私は自分の中の少し薄暗い部分ところに行って、腰かけて、一休みする。
キラキラして明るいところも、わくわくして楽しいけれど、
薄暗くて静かなところだって、私は心が休まるのだ。
どちらも私にとっては必要なんだ。
薄暗いとこでのんびりして、休むのにも飽きたらまた明るいところに出向いていく。
私の暗い部分は、私にとってすごく重要なのだ。
だから、暗い自分を自覚しても、気に病んだり後ろめたく思う必要はないと、
私はそう思う。
「こうなったらいいな」をイメージする
悲観的か、楽観的か、それは人の生まれ持った性質や育ってきた環境要因からある程度個人差があるものだと思う。
私は、おそらく平均より悲観的なのではないかと思う。ストレスに晒されているからか、少なくとも最近はそう感じる。
こうなるんじゃないか、こうなったらどうしよう
そう考えることが多い。
悲観的なことにも良い面があると個人的には思っており、
悪い未来を想像すると、気持ちとしてはしんどいが、そうならないためにいろいろ対策するので、結果良いようになることがある。
それは、学校の成績などで顕著に表れる。
悲観的な性格からか、昔からテストの点はよく取れるほうだった。
悪い点をとらないように勉強するし、勉強したら志望していた学校にも入れた。
そういう意味で私は自分の悲観的な面も認めているし、ある種誇らしく思っている。
ただ、そういう危機管理能力を発揮するのは、ここぞという時だけで良いと思うのだ。
テスト勉強しなかったら悪い点をとるというのは、最も起こりうる状況の一つかもしれないが、
成人がただ日常生活するうえで、不安に思うこと、こうなるんじゃないかと思っていることはそう起こらない。
だからほんと、不安に思って起こるか分からないことの対策を考えるのは時間がもったいない。
し、悪い未来を普段から考えるのは精神衛生上とても良くない。
私は、自分が、放っておいたら悪い未来を想像しがちであることを自覚している。
ストレス下にあるときは特にそうなる。
だから、自分が考えすぎる性格であること、自分が考えるような悪いことはほとんど起こらないことを自らに思い出させ、
最近は、
「こうなったらいいな」をイメージすることを心がけている。
こうなったらいいなはあくまで願望で、これもまた、実際そうなるかは分からない。
つまり、
こうなったらどうしようは、こうなったらいいな、そうなるかどうか分からない点で、全く同じなのだ。
全く同じであれば、起こるか分からないことに今うち震えるよりも、こうなったらいいな、というような理想、ワクワクを心に抱いて日々を過ごした方が良いに決まっている。
それに、良いイメージをしていたら自然と良いように物事が動き出すような気がするのだ。これはあくまでも経験上の個人の実感だが。
だから、私は、
悪い未来をイメージして暗い気分になりそうになったら、
「私はどうなりたい?何したい?どうなってたい?」と自分に問いかける。
先のことなんて分からない。
自分がどうしたいか願望をイメージするだけだ。
ワクワクの大切さ。
告白すると、私は最近ちょっと疲れている。
仕事の内容が向いてなさすぎて、ヒィヒィ言いながら平日仕事をし、休日は疲れを癒すために多くを寝て過ごす。
労働して、労働の疲れを癒すだけの生活。
たぶん、人にはいろいろ種類があって、それで良いって人もいる。
というかそっちの方が大多数なんじゃないだろうか。
正直平日おりゃぁぁあって働いてるのでお金が少しは貯まる。
貯まったお金で休日いつものお店で美味しいものを食べる。
んでまた月曜から頑張れる。
…
頑張れない~(笑)
私は頑張れない。なぜか。
なんか生き生きしてないというか。
物足りなさを感じていた。
休日美味しいものを食べるときは、ちゃんと美味しいと感じるし、幸せなのだけど、、、
さーまた月曜からがんばるぞ!💪😘って気持ちになれない。
んで今日、学生の頃好きだった趣味の話がポロッと職場で話題に上がった。
それを聞いていて、あの頃のイキイキとした心地、ワクワクにポッと明かりが灯った気がした。
そっかー、私好きなことあったんじゃん。やりたいことあったんじゃん。
それを仕事にする、転職するとまではまだいかないし、これからも?って感じだけど、
休日、少しやりたかったことをやってみるのもアリかなと思った。
実際やりたいことを仕事にするってすごく大変だし難しいことだと思う。
前テレビでプロゲーマーの人が、「ゲームは好きだけど、やっぱり仕事となると大変。しんどいこともある」って言ってた。
私はこれから仕事をどうしていくか、まだ覚悟もビジョンもないので、仕事はそのままで、とりあえず生き生きワクワクを取り戻すために、休日をやりたかったことにあててみることにする。
私のやりたいことはどちらかと言うと勉強に近いので、休日へとへとの身体でできるかわからないが、
これだけは言える。
すごくワクワクしてるということ。
だからちょっとずつ、本当にちょっとずつ始めていきたい。
搾取される関係
「仲が良い」にもいろいろある。
一緒にいて楽しい人。
一緒にいて面白い人。
一緒にいて安らぐ人。
どれも素敵だけど、その中に
実は「搾取される関係」の人はいないだろうか。
一緒にいて自分ばかり搾取されていると感じる人。
一緒にいて楽しい、嬉しいときもあるけど、それをくらいの頻度で嫌な気持ち、悲しい気持ちにさせてくる人。
もちろん、人間関係なので、一緒にいて傷ついたりショックを受けたり、こちらから妬んでしまったり、そんなときがあって当然だ。
けれど、その人と会って、モヤモヤした気分で帰ることが頻繁にあるなら要注意だ。
いつもその人の行きたいご飯やさんに行って、私は遠慮して「何でもいいよ」と言ってしまう。相手も分かっていながら、「今日は○○の好きなものでいいよ」と言ってくれない。
いつもその人ばかり話している。マウントをとられている気がする。私の話はあまり真剣に聞いてくれない。
気まぐれに連絡してきて、返事をすると、それに対するレスポンスが極端に遅いときや、既読無視をされることがある。
あげればきりがないが、上記を見て「あっ、」と思った人はいただろうか。
たぶん「あっ、」となったあなたは、心が綺麗で優しいので、搾取されていることに気づいてなかったのかもしれない。
気づかないなら気づかないでいいし、「でも平気~気にしないなぁ」という人もいるだろう。
それならバッチグーである。←
けれど、楽しかったと思ったら急に悲しませられたり、振り回されてる、適当に扱われてる、大切にされてない、と感じることが何度もあるなら、きっとそれは「搾取される関係」の人だ。
だから、縁を切れ!ということではない。決して。
搾取されるのに、悲しくさせられるのに、その人と遊ぶのはやはり何かその人に魅力があって面白いところがあるからだろう。相性が合うとか。
けど仲良しと思っている友達に振り回されて悲しむのは疲れるし、自分がすり減るので、
「この人はそういう人(搾取される関係の人)なんだ」
とあらかじめ割りきって接することをおすすめしたい。
一緒におしゃべりして共通の趣味で盛り上がって、その時楽しければもちろんいいけれど、何か辛くなることをされた、言われたときは、
「この人はそういう人だから」
と納得できるから。
楽しいときだけ一緒に楽しめばいい。
それに、大抵、「搾取される関係」の人は基本いつでも自分中心なので、あなただけじゃなくて誰に対してもそうなのだ。
(まれに、恋人にだけ、家族にだけは尽くすというタイプもいるが、それは自分に強く結び付いた人にだけ優しくするという意味で結局は自己中心的なのだ)
だから、その人は言うことを聞いてくれるあなたをある意味都合のいい存在として離さないのだ。
その人をよく観察してみると、あなた以外にそんなに深く付き合っている人はいないのでは?
だからまぁ、そんな人もいるんだと割りきって。
一番よくないのは、そのような人とずっといると自分がダメな気がしてくることがある。
もし今、何かで落ち込んで、劣等感であったり自己嫌悪に陥っている人がいたら、自分を取り囲む環境を今一度思い出してほしい。
人を悪くするのは、9割方環境だ。
中でも人間関係は大事だ。
いつもマウントをとってくる人はいないだろうか。
世話を焼くふりをして、良いように使われていないだろうか。
あなたが落ち込んでるのはあなたに原因があるわけではない。
逃げれる環境なら逃げていいし、
そこまではダメージくらってないなら、環境に要因があることだけ認識しておくだけでも全然違う。
あなたを大切にしてくれる人のことを想おう。大切にしよう。
自分を満たそうとすることだけでは、満たされない
私はけっこう多趣味で、どちらかというと完璧主義とも言える方です。
完璧主義というのは、何でも完璧にこなせますということではなく、完璧にしたい!という思いが強すぎて、途中で上手くいかなくなったりすると、もういい!中途半端ならもうしないほうがいい!というような、悪い面が大きいです😅
んで、今回のタイトルで何が言いたいかと言うと、
多趣味で完璧主義なので、休日などは、これしてあれして…と段取りを決め、趣味を敢行するのですが、
計画通りの休日を過ごせても、意外と虚しくなるというか、なんていうか満たされないんです。
段取りよく生活して、趣味ができていても、一人暮らしで誰とも関わることなく、一人で完結すると、寂しさの方が勝っちゃうんです。
私は、こだわりが強く、趣味人間だと言い張ってきましたが、結局は周りの人たちに支えられて、それがあっての追加での趣味という感じだったのだなと。
一人暮らしで時間があって、いくら趣味に没頭できても、やっぱり本当の幸せで満たされるためには、誰か、自分ではない誰かのためを思うことから生まれるんじゃないか、って最近思います。
趣味は、面白い、楽しい、ですけど、それは追加材料的なもので…
誰かのためを思うことでしか、自分を本当の意味で満たすことはできないと思います。
ベクトルがずっと自分にしか向いていない人はきっといつまでたっても、真の喜びみたいなものに気づけないのでは…と。
自分を支えてくれる人、支えたいと思っている人の存在に対する感謝に。
だから、これからはもっと大切な人との関わりに感謝して、思いやって、それを第一に生きていきたいと思います。
類は友を呼ぶ
類は友を呼ぶ
これは、事実です。
組織にいると、それが顕著に表れます。
なので、自分がなりたい人のようになれるよう努力しましょう。
もちろん、自分らしいテイストで。
怒りは大切な感情。
怒りの中で冷静になること。
今日、仕事でんもーめーっちゃムカつくことがあって、まじで、生理前なのもあったかもだけど、とにかくイライラムカムカして、まじで殴りかかりに行ってやろうか、ボコボコにしてやろうかってくらい、怒りでワナワナしました笑(すごい文章笑)
怒りってすごいパワーですよね。笑
漫画みたいに、自分の背後に炎ボォオッってなってるイメージですもん笑
起こってるときって、
その相手に対する怒りと同時に、
そんなことで心乱されてる自分、情けない…
起こってる自分嫌…
みたいな、自己嫌悪も感じちゃうんですよね。
何されても、何言われても気にしない爽やかなあの人になりたい…それに比べて私は…
みたいな。
だからなるべく怒りたくないな、心穏やかにいたいな、って想うんですけど、
私が前お話しした、不安にも意義があるように、怒りにも意味があるんです。
全ての感情が必要なんです。
それを今日、改めて思いました。
今日めっちゃムカついたとき、悔しいな、嫌だな、あぁあああ!!!ってむしゃくしゃしてたんですけど、
同時に身体に力がみなぎってる感覚もありました。
たぶん、それが怒りのパワーなんだと思います。
それが悪い方向に出てしまう人は、暴力に走ったりするんでしょうけど、
怒りをちゃんと活かせる人は、そのみなぎるパワーを何か生産的なことに向けることができると思うんです。
私はそのめっちゃムカつくことがあって、穏やかになりたい…と思って、気を紛らわせようとテレビ見たり他のことをしたんです。
そしたら、最初はただむしゃくしゃしてたのが、頭は少し冷静になれて、
相変わらずハートは燃えたぎっていましたが、
ただ怒ったって仕方ない、どうやったら見返せるだろうか、
と策を練り始めました。
それが、変な言い方ですけど、なんか面白かったと言うか、
よーし、やってやるぜ!
みたいな感じで、めっちゃ集中できたんです。
それで、自分なりの対処方法、解決策を考えて、今かなり落ち着いてきたところです。
怒りがなければ、今日のアイデアは産み出せませんでした。
だから、怒り含め、全ての感情が大切なんだって改めて気づかされました。
感情をそのまま感じさせること。
感情を感じることと、感情のまま行動することは違います。
めちゃくちゃ頭に来て、暴力に走っちゃダメなんです。
感情はそのままにしつつ、その中で、冷静に考え行動することが大切なんだと思います。